一、 稽古のこと
私たちが稽古をする目的とは 不滅の真理を探究し、大自然の摂理を律する法則を発見し、正しい動向を把握し、真に正しい、真に強い生き方を確立することなのである。合気道の真の目的は天地経綸に奉仕し人類の平和と幸福を築くことである。
二、 型より法則を学ぶ
単に型が上手になるのではなくじっくり稽古を重ね永遠不朽のものにがっちり根を下ろしそこから考え、正しいものを創造することにしなければ、常に変化する条件を処理することはできないのである。常に型だけを覚えず法則を学ぶべきである。その都度条件が異なるので技には適、不適があることを知るべきであり合気道に何百何千と技数がある所以なのである。
三、 心身一如
瞬時に変化する諸条件を総合的に考え併せ、それに対処する諸法則を即座に組み合わせて最適の処置をするためには心身一如が肝要である。即ち稽古は単に反復稽古することではなく常に考え、意識を充分働かせ体に覚えさせ感覚にまで教え込むことである。型を稽古するだけに止まって居ては駄目なのである。
四、 己を知ること
技には大の人に適するもの、小の人に適するもの等種々ある。従って人により有利、不利が生じてくる。そこで自分に適するようにするためにはまず己を充分知る必要がある。 自分は重いほうか軽いほうか、最も安定して自在に行動できる歩幅はどの位か、腕の強さは、背の高さは、腰は、気は、根性は、ねばりは、心臓は、呼吸力は、頭脳の回転は、視力は、聴力や嗅覚は 等色々と自分のことを知り尽くすことが必要であり、自分に最も適するものを見出し、それを練り上げることが肝要である。
五、 真武の自覚
合気道はスポーツでなく武道である。単なる興味や娯楽本位でやるべきでなく真剣に心身を鍛える覚悟が必要である。真の武道とは究極において大切な命、大切な家族、大切な人々、大切な自然を守り抜くことであるから勝つことよりも負けないことが肝要である。負けないためには強くなければならない。強いといっても腕節だけのことではない。私たち人類最良の武器の一つは知恵である。肉体の鍛錬のみに終わり、腕力のみの上達だけでは新時代にふさわしい真武とは言い得ない。気育、知育、徳育、体育、常識の涵養(かんよう)を内容とした稽古をするのが合気道である。常に気を使う修練と頭脳で考える訓練を積み重ねることが肝要である。
六、 和
私たち人類は群棲(ぐんせい)することによって、種族を護るよう宿命づけられている。到底一人では生きていけない動物である。社会生活という名で群棲生活をしてきたのである。人智が進み生活が高度化するに従ってその構成単位は家族から部族、部族から種族、種族から邦、邦から連邦、連邦から国家、国家から国際と幾世紀にわたり紆余曲折を経ながら、その規模が次第に広がってきたのである。そしてこれが社会という人間群棲の実態である。知らず知らずのうちにお互い恩恵を蒙(こうむ)り合う共同体なのである。闘争よりも肩を寄せ合い労わり合う協力のほうが賢明であり幸福なのである。たいした武器を持たぬ人間という動物を護る為に、神が自衛の方法として教えた叡智ある群棲、すなわち社会生活を稔りあるもの にするには、常に感謝の念を忘れず、互いに和し、互いに助け合い、互いに報いあって、共同体意識を高め平和で住みよい世界の建設に努力しなければならない。合気道の根幹である「和の精神」こそ肝要である。