合気道四日市合気会の歴史

 三重県の北部に位置する四日市市は、西は鈴鹿山系、東は伊勢湾に面した温暖な地域です。江戸時代に東海道五十三次の四十三番目の宿場町だったことは、よく知られています。昭和30年代以降に石油化学工場等、コンビナート進出により大気汚染光化学スモッグに悩まされた時期もありましたが、今では環境浄化に取り組み自然と調和した工業都市として栄えています。

 鈴鹿山脈のふもとに椿大神社(つばきおおかみやしろ)があります。御神霊は「猿田彦大神」であり地上に生けるものの平安と幸福を招く「みちびきの神さま」として多くの方が参拝されています。この椿大神社と合気道との関わりは深く、昭和27年、開祖植芝盛平翁が参拝され、以後、毎年参拝されるようになり、金龍明神の瀧にてみそぎを行われたと伝えられています。

 合気道四日市合気会の道場は、市街地中心から少し離れた三滝公園内の市営三滝武道館内にあります。昭和41年に大阪武徳館(現大阪武育会)故小林裕和師範の門下であった榎本先生が大商証券(後の新日本証券)大阪本社から四日市に転勤され、早速合気道専門道場として四日市道場を創設されたのが始まりです。当時は土、日曜日を除いて毎日稽古があり、小林師範も月に1~2回内弟子を伴い指導に来られましたが、その稽古の激しいことといったら筆舌に尽くしがたいものがありました。しかし稽古が終われば人が変られたように穏やかに話しておられました。小林師範は合気道の稽古は常に力のみに頼るのではなく、呼吸力、気の流れで相手と共に修練するものであり、「争わない和の武道」であるとよく言っておられました。

 その後、榎本先生が本社に戻られたため、愛知県一宮支部長でありました 故岩田一空斎師範の門下である故近藤可壽美先生から指導していただくことになり、同時に岩田一空斎師範にも、月に一度、四日市まで来ていただき、厳しくも情熱にあふれた御指導をたまわりました。そしてこの頃から(財)合気会四日市支部として大きく活動の場を広げていくことになり、現在の(公財)合気会公認 合気道四日市合気会として今日に至っております。 心のこもったご指導を頂いた岩田一空斎師範、近藤可壽美先生が亡くなられたことはまことに残念ではありますが、現在は、畝原会長を中心に門下生一同、楽しく稽古に邁進しております。

 岩田一空斎師範は稽古のたびに「合気道は型に留まらず法則を学べ」と言われました。 すなわち型は先人が苦心稽古から成型された技であって、誠に貴重なもので尊重しなければならないが、その型に潜む原理と法則を汲みとることがもっとも大切である。そしていかなる条件に適するものか(例えば間合い、速度、角度、力の強弱の度合、自他の身長、体重、力量等)色々な角度から考察するべきであり、技には適、不適があることを知らねばならない。これが合気道に何百何千と技がある所以であると語っておられました。